TOP50プレイヤー 11~25

TOP50プレイヤー 11~25

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chess24が50人の偉大なプレイヤーを紹介していたので私もざっと。
知らないプレイヤーについてはさらっと流して書きます。

1~10までのリンク
https://www.chess.com/ja/blog/monopaul-jp/top50pureiya-1-10
26~50までのリンク
https://www.chess.com/ja/blog/monopaul-jp/top50pureiya-26-50

25 David Bronstein


David Bronstein via Wikipedia

ロシアでがっつりチェス教育を授かった、無冠の強豪。
ボトビニクに挑戦したが、偉大なる師と尊敬しているせいか純粋に実力が足りなかったのかはわからないが惜敗。
彼が書いた200 オープンゲームの本と1953年チューリッヒの本は今でも通用する教育本。
非常にハイレベルな者として現代のGMも好むものが多い。

24 Howard Staunton


Howard Staunton via Wikipedia

ショート以前の最も強いイギリスのチェスプレイヤー。
ダッチのスタントンギャンビットからもわかるように攻撃的な駒組を好む。
(その一方イングリッシュオープニングも彼から生まれている)
スタントン駒の由来は彼から。

23 Akiba Rubinstein


Akiba Rubinstein via Wikipedia

無冠の王者、ルビンシュタイン。
当時の戦争で挑戦権を失い、ついぞ挑戦すらできなかった。
シルマンはルークエンドゲームのマスターと呼称しており、テクニックに長けたプレイヤー。
当時では考えにくかったが、エンドゲームを見据えたオープニングチョイスをした。
彼の名前を冠する定跡は数多くあり、エンドを見据えた序盤選択がいかに賢かったかがわかる。

22 Paul Keres


Paul Keres via chessgames.com

シルバーコレクター、永遠のセカンド等と悉く二位に甘んじてしまったプレイヤー。
数多の世界チャンピオンを破った経験があるも、チャンピオンになれなかった。
彼の編み出したケレスアタックはスケベニンゲンの一種のrefutationとされている。
序盤において攻撃的すぎるg4突きの構想を見事に成功させた。

21 Veselin Topalov


Veselin Topalov via chess24

FIDEチャンピオン、最高レート2816、ピークレートはNo.1。
FIDEチャンピオンというのはチェス界がPCAとFIDEに分裂した時代の片方のチャンピオンのこと。
多分一般的にFIDEチャンピオンは世界チャンピオンと呼ばないので、トパロフのことを誰かに宣伝するときは注意。
ブルガリア出身で乱戦を好み、タクティカルなコンビネーションが印象的。

20 Viktor Korchnoi


Viktor Korchnoi via Chess.com

ロシアの皇帝 Terrible Viktor。
カルボフと世界王者の椅子をかけて争い、ついぞ達成できなかった勇猛なる戦士。
ドローを嫌い、イベントで政治家との記念対局でも容赦せず、老齢になっても最前線で戦い続けた。
棋力も気力も大きな衰えを見せず、晩年になってもチェスプレイヤーであり続けた。
”白番では相手にチャンスを与えず勝つ、黒番では相手にチャンスを与えるもやっぱり勝つ”と全盛期に囁かれた。
相手のギャンビットを喜んで喰らい、そのまま受け潰してしまうような棋風。
「奇跡を信じるプレイヤーは時にそれを実現させることができる」、彼の名言です。

19 Fabiano Caruana


Fabiano Caruana via Twitter

現在の圧倒的世界二位 アメリカのプレイヤーは再び世界一位に立てるのか?
元々イタリア籍でしたが最近はすっかりアメリカが拍についてきた様子。
セイントルイスとかいう大金持ちの組織がこぞって有名プレイヤーを手中に収めてる最中であります。
彼はクラシカル特化のSGMで、早指しはかなり苦手の様子。
膨大なチームプレパレーション、果てしない計算力、正確なエンドゲーム力で戦うスタイル。
彼の最大パフォーマンスは3103を記録し、フィッシャーの再来を予感させました。

18 François-André Danican Philidor


François-André Danican Philidor via chessgames

ポーンはチェスの魂と格言を残した18世紀のプレイヤー。
フィリドールディフェンスを生み出したものの、自分では使う必要がないといって使わなかった。
某チェス界隈では「フィリドールのfも知らないくせに!!」というミームがあるが
フェニックスと同様に頭文字はPなので、本気でこのネタを信じないように。

17 Max Euwe


Max Euwe via Wikipedia

アレヒンからチャンピオンを奪取し、5代目世界チャンプになる。
禁酒をしたアレヒンからチャンピオンを奪い返される。
人格者として知られており、FIDEのトップも務めた。
70のチェス本を書き、これはチャンピオンの中で明らかに最多。

16 Boris Spassky


Boris Spassky via Wikipedia

ペトロシアンに勝ち10代目の世界チャンプになり、フィッシャーにその座を奪われた。
破天荒で攻撃的なKGを使う割に、彼の棋風はユニバーサルなものとして知られる。
我儘で強大なフィッシャーを弟のように思ったエピソードはエモくて好き。
ラーセンとの試合が有名で、セイラワンの解説付きでみると非常に楽しい。

15 Mikhail Tal


Mikhail Tal Wikipedia

ボトビニクに勝ち8代目のチェスチャンプになり、ボトビニクにその座を奪われた。
リガから来た魔術師の異名を持つサクリファイスアタッカー。
非常にアマっぽいプレイヤーの振舞だったそうだ。
人生を謳歌し、誰とでも指し、一見馬鹿げたサクリファイスを行い、アル中ニコ中。
ボトビニクは彼から王者の座を奪い返したとき「彼が健康に気を使っていたら取り戻せなかった」と言ったそうだ。
彼はサクリファイス、攻撃でよく知られるが85戦不敗の記録をもっていたりと、
深いポジションの理解と強力なエンドテクニックを持ち合わせている。
マンモスチェスブックには彼の対局が他のどのプレイヤーよりも多く収録されており、
教育的・チェスの美を感じる名局が多い。

14 Vasily Smyslov


Vasily Smyslov via Wikipedia

ボトビニクに勝ち7代目世界チャンプになり、ボトビニクにその座を奪われた。
シルマンはシンプルでハーモニーなエンドゲームのマスターであるとしている。
タリやカパのような神秘的なオーラを放つような人間じゃない、ただただ真理を追究するチェスだ。
ポジションを理解しており、子供たちにぜひとも学ばせてあげたいプレイヤー。(クラムニク談)
棋力を長年保っていたプレイヤーとして有名であり、視力を失ったあともチェスに取り組み続けた。

13 Wilhelm Steinitz


Wilhelm Steinitz via Wikipedia

初代世界チャンプ、ラスカーにその座を奪われた。
チェスというのは明確にシュタイニッツ以前、シュタイニッツ以降と分類される。
シュタイニッツは初めてポジショナル要素を分割して説明し、その考えを世界に広めたからだ。
やみくもに攻撃するロマンスタイルは間違っており、きちんと自陣を整頓してから戦いを開始するべき。
人類に火が与えられたように、チェス界に正しいストラテジーを与えた。
Curt von Bardelebenとの試合がクリスタルクリアー。

12 Tigran Petrosian


Tigran Petrosian via Wikipedia

ボトビニクを倒して9代目世界チャンプになり、スパスキーにその座を奪われた。
黒鉄のペトロシアン、鉄壁の守りで負けない棋風で有名。
ナイトを後ろに引くような手が印象的の戦略的なプレイヤー。
攻め急がずとも、スペースを確保しなくとも後々勝ちをめざせることを示した。
予防手の達人であり、フィッシャーは彼を評して
「信じられないほどタクに秀でている。そして危険というものに鋭敏だ。
彼は20手以上前からその”臭い”を嗅ぎ分けている」
その一方エクスチェンジサクリが有名。

11 Vladimir Kramnik


Vladimir Kramnik. Photo: Maria Emelianova / Chess.com

歴代最強とも謳われるカスパロフを倒し第14代世界チャンプになり、アナンドにその座を奪われる。
彼の体格、チェス界に君臨する存在感を評してBig Vladの異名も。
ジュニア時代にカスパロフからその実力を買われ、FMだったにもかかわらずオリンピアドに抜擢。
圧倒的な活躍を見せ、後にカスパロフのセカンドになった。
セカンドとして定跡研究を働く中、カスパロフの弱点を捉えるような定跡を開発した。
カスパロフの1.e4を殺すベルリンディフェンス、カスパロフの1.d4対策を殺すKIDバヨネッタアタック。
どちらも以前からアイデアとしてはあった定跡だがクラムニクがさらに洗練させた。
そして白番ではソリッドなカタラン。白番で一勝してあとは全部ドローで逃げ切るというマッチ戦略が功をなした。
彼とカスパロフのマッチ以降ベルリンは大流行、白はベルリン回避にイタリアンまで持ち出す始末。
序盤の話ばかりしていたが、ロシア教育よろしくエンドの達人。