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naruzoの「面白い記事見つけた。」(青棋会編)

naruzo
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今、書かなければこの先書く事は無いと思うし、みなさんも「青棋会」の事を知らずに一生を終えるでしょうし、知ったところでなにかプラスがあるワケでもありませんが、ただ、何かを感じていただけるカナ?などとも思わず、ただ、「青棋会」は存在していた。それだけです。

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終戦直後、町に将棋道場というものが無かった。

だから、強い人、強くなりたいと思う人が「集まる」機会が無かった。

そこへ、永井英明氏のような将棋普及を一生の仕事と考える情熱家を得、関東一円に将棋好きが集まった・・・。

「青棋会」の誕生である。

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永井英明氏といえば、「近代将棋」という雑誌の元編集長であるが、近年では、スカパーの囲碁・将棋チャンネル内、懐かしのNHK杯で見ることができる。若き日の羽生氏が、名人経験者を次々に破り、優勝した時の大盤解説の司会をしている。

大山十五世名人の口頭による符号に、テキパキと大盤の駒を動かす姿は、さすが元奨励会出身者だけある。(2012年9月没・享年86)

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さて、「青棋会」の入会条件は、「真面目かつ、意志強固で、棋理に突撃を志す者」である。

会則に反する者(熱心ではない者)は除名する。

という規則が作られ、結成当時は、世はまさに、ルンペンと欠乏の時、焼跡をみだらに歩き、カストリ”突撃の辞”が述べられるという白熱の空気だったという・・・。

青棋会といえば、奨励会との対抗戦において、奨励会の故山田道美九段が敗者となり、涙ながら感想戦を行ったエピソードは有名である。

さてここで問う。

今、われわれの回りに、「棋理に突撃する」という空気をもつ会があるだろうか?

熱心に将棋を指さず、理由なく出席しない者、即除名という、厳しさを持つ会があるだろうか?

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今は平和な時代である。

また、規則にしばられるのをイヤがり、除名などと言えばすぐに「自由が無い」と軟弱なセリフが口を突いて出る時代である。

将棋を一生の趣味とするには、あまりにも他の楽しみが多すぎ、「将棋はいくつかあるオレの趣味の一つ」と、かっこつけてもおかしくない時代である。

しかし

本当の事を言えば、これは将棋上達にとってプラスの環境とはいえない。

将棋は、ハングリースポーツに似ている。

貧乏で、他に楽しみが無く、厳しいトレーニングを積み、突撃、また突撃という空気の中で青棋会は生まれ、多くの棋士、観戦記者、詰将棋作家を誕生させた。

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今の時代をそのまま終戦直後に引き戻せ、と私は主張する者ではない。

が、一方で物事に打ちこみ、上達するには厳しい環境、自己抑制や忍耐が必要である事は、一つの真理である。

故関根九段は言う、「会を作ることの一番の利点は、将棋に対して純粋な心になれるということです。厳しくなくては上達はありませんが、純粋であれば厳しさは苦にならない。気の合った者同士、志を一つにする者同士、上達をここ数年の目的とする者が集まり、会を作る。私の経験では、永井氏のような、情熱の人さえいれば、自然と人は集まり、カネが集まるものです。切磋琢磨する空気が強いほど、カネは集まります」

場所も、経費も人も、上達への情熱と主体的意欲のまわりにひねり出されるものだ、故関根九段は言う。

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同志による切磋琢磨は、昔から人間が技術を身につけ、知識を磨く上できわめて有効な方法とされてきた。

もちろん、会を続けていくうちには、「集まり来る者の内にも、その業のはかばかしからず、それと突き留めもなき面倒なることゆえ、遂に精力尽き果て、また今日の生計におわるる人はそのしるし見えざるにうみ、かつ、やむを得ず中道にして廃するという人も多い」という現象も、避けることはできない。

戦後のアマ棋界に隆盛を極めた「青棋会」も、やがてメンバーの一人一人に事情が生じ、また、周囲の情勢の変化もあって解散となった。

しかし、ここに源を発した峻烈なアマチュアリズムは、その後も大阪の「正棋会」をはじめ全国各地に受け継がれ、アマ棋客による自主的な将棋研究の場は年々盛んになる一方である。

最後に、故関根九段は言う。

「将棋の上達が技術である以上、誰でも努力すればアマ三段くらいの域には達することができます。会を作り、同志と励まし合って、上達への努力を始めてください。お互いがんばりましょう!」

-近代将棋・1979年・11・12月号-

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・・・と、だいぶ古い雑誌からの引用であるが、さて、12月より、第二回JCN順位戦が始まりました。

第一回が終わってから、そう間もないうちの開催なので、参加人数は前回より少なかったです。

でも、naruzoは、それでいいと思っています。

前回参加して、今回参加しない人も、いろいろ事情があると思いますし、年末だしねw

それに、そもそも何かしら志あるもの人は、なんだかんだでガチの30分勝負に挑むし、前回でて今回出ないメンバーを見ても、第三回、第四回には確実に出てきそうなメンバーなので、今回の人数の少なさは全く危惧していないし、むしろこれでいい!とさえ思っている。

少人数で集まると、仲良しグループだ、排他的だと揶揄されるのは想定内。そんな事にいちいち反論するより、切磋琢磨できる仲間が一人でもいるかどうか?である。

はっきり言って、一人で上達するには限界がある。今、強い人は皆、どこかで何かしらの形で切磋琢磨した時期があるはずだ。

他の価値感を知る事=共有する事で、独善的な読みや思考を自分の棋風に修正、付け加えていくという過程が強くなるには必要不可欠だと思う。

あまり難しいことは分らないケド、とにかく全知全能をかけて勝負するから、その先に「楽しさ」があるような気がする。

おそらくJCN会員にも、初心者でなかなか順位戦や、他のイベントへの出場を躊躇する人がいるかもしれないが、他の価値観を共有する為には、自分から飛び込んで行かなくてはいけない。

naruzoでよければ、いつでも相手になろう。

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