TOP50プレイヤー 1~10

TOP50プレイヤー 1~10

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chess24が50人の偉大なプレイヤーを紹介していたので私もざっと。
知らないプレイヤーについてはさらっと流して書きます。
11~25までのリンク
https://www.chess.com/ja/blog/monopaul-jp/top50pureiya-11-25
26~50までのリンク

https://www.chess.com/ja/blog/monopaul-jp/top50pureiya-26-50
10 Paul Morphy


Paul Morphy via Wikipedia

非公式世界チャンピオンとも呼ばれるアメリカの超新星。
シュタイニッツ以前にポジショナルチェスを開発し、チェス界を圧倒した。
圧倒した・・・のだが彼自身本も残していないし、
当時誰もその意味がわからずチェス界はモーフィー以前と同じロマン主義者があふれてしまった。
彼は神経衰弱を患い、チェスをアクティブに指すことは少なくなった。
オペラ座のチェスがあまりにも有名。暗譜をしていくと上級者に見られるからオススメ。

9 Viswanathan Anand


Viswanathan Anand via Wikipedia

クラムニクを倒し第15代世界チャンプになり、カールセンにその座を奪われる。
マドラスのトラの異名を持つアジア圏から出た初の世界チャンプ。
彼が世界チャンピオンになったことでインドでチェスブームが起き、神童クラスのプレイヤーがポコポコと頭角を現している。
世界チャンピオンはどんどん若くなる傾向があるのにもかかわらず、38歳にして世界チャンプになるという異例。
自然でバランスのいいプレイヤー、特徴的な棋風としてはナイト好きというものがある。

8 Mikhail Botvinnik


Mikhail Botvinnik via Wikipedia

アレヒンの死後世界チャンプを決める戦いで勝って世界王者になる。
スミスロフとタリに一度取られるもすぐに取り返し、最終的にはペトロシアンにとられた。
二度度に渡って世界チャンピオンを取り戻すという野心を持っている。
近代チェスの父、チェスエンジンの技術者、チェス学校の創始者、ロシア一強時代を決定づけたのは彼であろう。
少し歳をとってからチェスを学んだからだろうか、閃きによる手というよりも理論化された手で構築された棋譜が多い。
非常に真面目で几帳面な人間で、プレパレーション、ミドルゲーム、エンドゲーム、隙が無い。

7 José Raúl Capablanca


via playoffmagazine.com

ラスカーを倒して第3代世界チャンプになり、アレヒンにその座を奪われる。
まさにチェスの天才、エンドゲームの天才。
普段は外交官として人生を謳歌しながらその傍らチェスを指して世界を獲っていた。
当時チェスは職業ではなく娯楽という側面もあったが、
死ぬほど努力したアレヒンと遜色なかったことからその異常性が分かるだろう。

6 Anatoly Karpov


Anatoly Karpov Source: © Vishal Sareen

ボビーフィッシャーが失踪した後挑戦者のカルポフが自動的に第12代世界チャンプになり、カスパロフにその座を奪われた。
戦わずしてその地位に着いたので、ペーパーチャンピオンと揶揄されることもあったがその実力は本物だった。
フィッシャー・カスパロフが特異なタクティクス力を持っているため過小評価されがちだが彼のタク力もかなりのもの。
1.e4でドラゴン殺しの名手だったり、あらゆるシャープな局面を戦い抜いている。
カルポフを紹介する中で欠かせないエピソードはやはりカスパロフとの闘いだろう。
KKマッチと言われ実力が均衡し、チャンピオンが決定しないまま48局が過ぎたという。
カスパロフはその試合中、カルポフという世界王者から個人レッスンを受けているような妙な気分になったという。
戦いの中でも成長するハングリーな若者は一旦マッチが休止された後、カルポフを打ち破って王者となった。
カルポフはこの戦い以降思うことがあったのか1.d4をよく指すようになった。
彼本来の持ち味、序盤の深い研究を行わず、戦略的なゲームやエンドでの強さがより発揮されるようになった。
ドローディクライン、プロフィラクシスの名手として有名。
彼のもっとも有名な手はBa7!!だろう。

5 Alexander Alekhine


Alexander Alekhine via Wikipedia

カパブランカを破って王者になり、在位中に死去した唯一のマスター。
コンビネーションの天才、ダイナミクスという爆弾をチェスの概念に放り込んだハードワーカー。
彼以前のプレイヤー、とりわけカパは娯楽や趣味といった位置づけでチェスをやっていたがアレヒンは違った。
ひたすらにチェス、狂気的なまでにチェス。
ある種初めてのプロチェスプレイヤーと言えるのかもしれない。
天才カバプランカと対比するならば、情熱と努力のアレヒン。
アレヒンーアリョーヒン戦争はアレヒン派が今のところ優勢らしい。
あとアルコールを愛し、愛猫にはポーンという名前がついてたそうだ。
猫を抱いて象と泳ぐはアレヒンとオートマタを元ネタにしている。

4 Emanuel Lasker


Emanuel Lasker via Wikipedia

シュタイニッツを破り第2代世界王者になり、カパにその座を明け渡した。
彼の時代は挑戦者が招待制だったこと、戦争があったことを考慮しても27年という長きの間王者であり続けた。
シュタイニッツのアイデアを吸収し、それを机上の理論から盤上で実践したプレイヤー。
シュタイニッツ自身はアイデアを発表したものの、まだまだロマン時代の指し方に囚われていて実戦でうまく扱えていなかった。
またラスカーはエンドゲームに秀でており、シルマンは防御のエンドゲーム技術マスターと称している。
1.d4が1.e4同様強力であることを示唆したような彼の序盤は非常に現代的。
ちなみにアインシュタインと友人だったりする。

3 Bobby Fischer


Bobby Fischer via Wikipedia

スパスキーを破り第11代世界チャンピオンになり、FIDEとの交渉が上手くいかず失踪した伝説のプレイヤー。
アメリカ生まれの神童、彼はアメリカの強豪バーンを”世紀の試合”と呼ばれる名局で破ったことで一躍有名に。
その後も他者を圧倒する棋力を持ち、ロシアから恐れられるような存在に。
USチャンピオンシップを11pt全勝して優勝、これはUSチャンピオンシップ史上この一回しか存在しない。
キャンディデイトのラーセンとタイマノフを6-0で打ち破る、まるでGMとFMが試合でもしたかのような結果に驚きを隠せない。
絶好調のはずだったフィッシャーは世界王者のかかったマッチの初戦とんでもない悪手を放ち負けてしまう。
そして大会会場がうるさすぎる、もっと別の部屋を用意しないと俺は降りるといって駄々をこね
その結果第二試合には現れなかった。
結局彼の我儘はスパスキーによって承諾され小さな部屋で続きをやることになった。
そこからはフィッシャーのターン、黒番でも積極的にポイントを取りに行ってスパスキーを圧倒。
その後のレートの伸びからすればフィッシャーはスパスキーよりも100以上レートが上だったようだ。
当然世界王者になり、名実ともに最強となった。
だがその性格が災いをしてかFIDEと交渉が上手くいかず、チャンピオンシップマッチを放棄してしまう。
棄権したとみなされ、王位を剥奪されカルポフにその地位が渡った。
現在最も主流のタイムコントールはフィッシャーが考案したものだし、チェス960もフィッシャーが考案したもの。
現在指されてる定跡もフィッシャーが指したとして流行したものも多い。
彼自身は色々とトラブルメーカーだったようですが、常軌を逸した天才とはいつの時代もそのようなものなのかもしれません。
チェスに愛されし、チェスを愛した男。安らかに眠ってください。

2 Magnus Carlsen


Magnus Carlsen via Wikipedia

アナンドを破り第16代世界チャンピオンになった、現世界チャンピオン。
人類史上最高レート2882を持ち、125戦不敗記録を持つ魔物。
彼が出たあらゆる大会で優勝は当然のように予測されるので、代わりに2位を予測する遊びが流行ったりする始末。
異常なまでの終盤力とねじりあい力に長けており、イコールの局面、ドロウィッシュな局面を少しづつ締め上げていくプレイ。
評価値もGMから見ても完全にドローが予想される局面でも数時間後にはカールセンがなぜか勝っているということが頻出する。
昔は力戦を好みダイナミックな局面が苦手と噂されていたが、近年Dubovとの研究のおかげかスベシニコフのような定跡を指すようになった。
すると、彼に眠る野生の力が解き放たれたのか、オフビートラインでSGMを打ち破ったり、
アグレッシブな駒組でミニチュアを決めてしまったりなどの暴君のような振舞いで勝利を積み重ねていった。
また彼は盤外でも様々な活動をしている。
プレイマグヌスの立ち上げやらチェス24でのバンターブリッツ杯やチェスツアー等。
コロナという通常ならば不利の状況さえもうまく利用して立ち回る様子はお見事。


1 Garry Kasparov


Garry Kasparov via Wikipedia

カルポフを破り第13代世界チャンピオンになり、クラムニクによって奪取された世界チャンピオン。
バクーから来た獣、1000の目を持つ怪物、恐ろしい異名を数々持ち15年の間王者であり続けた伝説。
当時の最高レート2851を記録し、チェス界はカスパロフが支配した。
元々チェスはロシアが強かったが、カルポフーカスパロフークラムニクの三人のロシア人の系譜は印象深い。
「チェスチャンピオン?Kの頭文字で始まるロシア人だよ」 そんな時代もあったという。
盤上でも攻撃的でアクティブなプレイヤーだったのだが、盤外の事、PCAとディープブルーについて語ろう。
PCAというのはカスパロフとショートが企画したFIDEに替わる新しいチェス組織のことだ。
自分の名声と知名度を利用して、チェスのプロをもっと違う方法でマネタイズしようとした。
チャンピオンシップを開催したり、早指しのツアーを企画したりと色々やったのだが、スポンサーに切られて自然消滅してしまった。
彼じたいの試みは失敗したのだが、現世界王者カールセンも似たようなことをやろうとしている。
カールセンがカスパロフからimprovementを見せられるのか、注目である。
ディープブルーの勝利はチェス界にとってセンセーショナルだった。
当時歴代最強のカスパロフを機械が破ったのだ、メディアは「知性の敗北」とか「人類の敗北」とか煽り文句を入れた。
だが私はそうは思わない、ここである一人のエンジニアの言葉を借りよう。
「これは人間vsコンピューターという試合ではない。一人の頂点を極めた天才に、万の凡人が匹敵するかという試合だ」
まさにその通り。エンジンは多くの人の努力の積み重ねでできています。
その集合知が個人の知に勝てるかという試みであって、それが勝てるのはむしろ喜ばしいことかなって思います。